Vol.065 松本市立博物館の沿革 ( R5.8.8 文責:石井 )

松本市立博物館は明治39年(1906)9月21日、松本尋常高等小学校(旧開智学校)内に「明治三十七八年戦役紀念館」として開館したのが始まりです。日露戦争に出征した同校の卒業生が寄贈した風俗資料や写真を見た教員たちが、これを児童に見せたいと保存・陳列したことが始まりでした。開館時の資料は軍事関係1,308点、風俗関係315点、博物標本2,102点、その他1,699点、図書19,046冊でした。

その後、松本紀念館と改称し、昭和6年(1931)に松本市の管理に移管され、昭和12年に松本城二の丸(松本中学校跡)へ移転します。翌年松本記念館として有料開館しました。当時の観覧料は10銭でした(松本城との共通券15銭)。

戦時下の昭和20年5月22日に閉館し、収蔵資料の疎開を開始しています。

昭和23年に松本城三の丸の地蔵清水へ移転し、松本市立博物館と改称しました。当時は山岳・民俗・考古・歴史・教育の5部門を常設展示していました。

昭和27年には博物館法による登録博物館として登録されました。県下では初の登録博物館でした。この年の11月に再び二の丸(松本中学校跡)へ移転しています。

昭和30年、七夕人形コレクション45点が重要民俗資料(現在の重要有形民俗文化財)に指定され、昭和34年には、農耕用具コレクション79点、民間信仰資料コレクション293点が重要民俗資料に、孔雀文磬が重要文化財に指定されました。昭和36年に重要民俗資料収蔵庫を新築しています。

昭和41年に財団法人日本民俗資料館が設立され、以後平成17年(2005)に資料館が松本市に寄贈されるまで、松本市立博物館と日本民俗資料館の両名併記になりました。

明治期に建築された施設の老朽化が進んだことから、昭和43年に鉄筋コンクリート造り、地下1階、地上2階の日本民俗資料館として、現地(松本城二の丸)で建替えられました。

01_松本市立博物館(本館)

平成12年には松本まるごと博物館構想が策定されました。市域を屋根のない博物館として、自然・文化遺産・産業・暮らしなども博物館の資源・資料ととらえ、博物館を一つの核としてひとづくり・まちづくりを推進する取組みを進めています。

平成11年に「松本城およびその周辺整備計画」が策定され、松本城二の丸からの博物館早期移転が示され、古山地御殿、辰巳隅櫓の復元整備が長期の取組みとして示されています。

平成20年に松本市基幹博物館基本構想、同21年に松本市基幹博物館基本計画が策定され、平成28年の松本市基幹博物館施設構想で松本城大手門駐車場敷地(三の丸大名町)を基幹博物館の建設予定地とすることが決定しました。

令和2年には基幹博物館の建築工事が着工し、令和4年に竣工しています。

本年10月7日に新博物館開館予定です。

新館夜景