Vol.126 収蔵史料の紹介「時局資料蒐集記録」(R8.3.11 文責:石井)

 当館のはじまりに関わる史料を紹介します。
「明治丗八年九月 時局資料蒐集記録 松本尋高小学校」です。

IMG_1503 IMG_1504

当館の起源は、明治39年9月21日に開館した明治三十七八年戦役紀念館です。
 日露戦争に出征した松本町出身兵士達が、ロシア兵の肩章や軍票(軍隊発行紙幣)、戦地の草花、写真などを母校である当時の松本尋常高等小学校(開智学校)に寄せ、教員達がこれを国民教育に資するため保存し、児童生徒に公開しました。
 その後も出征兵士による民俗資料・写真などの寄贈が相次ぎ、感激した三村寿八郎校長は、資料1点ずつに説明を記して校舎の一室に陳列し、時局室として一般にも公開しました。
 その経緯を「時局資料蒐集記録」で見ていきます。

 「時局資料蒐集記録」は明治38年9月5日の委員任命から始まります。
 男子部から木村鎮来、等々力茂登太郎、大久保久寿、新井明八の4名、女子部から川井源勝、三溝博而の2名、源池部から鈴木喬夫、加科長治の2名の計8名が任命され、9月7日に委員会が開催されています(9日に1名追加、棚橋万却次郎)。
 委員会では校長から13個の課題が提示されています。

    一、時局地図第二号及戦地色別地図新調ノコト

  一、出征軍人及ビ戦争ニ関スル来状ノ始末

  一、戦争ニ関スル重要ナル日誌ヲ集メ置クコト

  一、我校ヨリ出征軍人ヘノ送状ヲ集メ置クコト

  一、国債ノ応募額ヲ表ニシテ作ルコト

  一、時局紀念寄贈品ノ備付法

  一、軍人写真ヲ集メ且ツ備付タル方法

  一、海軍鎮守府及各師団表

  一、日露軍艦比較表ヲ大キク作ル直スコト

  一、旅順戦ノ戦死者表

  一、海戦々死者数 表

  一、我校ヨリノ後援事業日誌

  一、時局資料備付室ヲ定ムルコト

 
 以上の課題について協議した結果、「写真額ヲ五枚新調スルコト」、「時局地図シタガキヲ作ルコト」「重要日誌ノ財料ヲ集ムルコト」「海軍鎮守府及師団ノ表」にそれぞれ担当を決めています。
 10月6日に開催された委員会では、時局下図の確認などが行われています。誤字の訂正のほか、日本領を赤色に、ロシア領を草色に、水は浅藍色とすることなどが決められています。
 12月5日の日付では「我軍ノ損害総数(小池軍医総監調査)」とあり、戦死者43,219名、戦傷者153,673名、生死不明者5,081名などの記載が見えます。

 翌39年4月14日、委員が改任され10名になり、時局室の名称を明治三十七八年戦役紀念館に改められています。
 4月23日には寄贈名簿や時局表の新調、新たな資料収集、借用、代々校長写真準備などが校長から命令され、この頃着工された紀念館の開館に向け準備が進められます。

 そして紀念館開館を迎えました。開館は9月21日ですが、「時局資料蒐集記録」では「九月二十二日開館式ヲ行フ町会議員学務委員、本校教員各校々長出席」と記録されています。来館者は22日が1,038人、23日945人、24日1,176人とあり、3日間の当番が記載されています。日付が混乱するほど忙しかったのかもしれません。
 10月1日には、「授業時間中ノ参観ハ手アキノ教師案内スルコト」、「放課後ハ掛員四時マテ案内スルコト」と取り決められています。
 その後は農商務大臣の来館の記録や皇族の来館に向けた準備、目録などの作成についての記録が見えます。最後の記録は、翌年3月5日の記事で、3月10日に予定されている団体旅行の対応について協議しています。

 当館常設展示室では、明治44年に小学校の教員達によって製作された松本城下町模型を展示しています。「時局資料蒐集記録」や模型からは、当時の先生達の熱意がひしひしと伝わってくるようです。

紀念館発行の絵葉書

紀念館発行の絵葉書