Vol.042 考古資料の移管 ( R5.2.28 文責:大島)

新博物館収蔵庫への資料のお引越しがいよいよ本格化してきました。

今回はその中で、当館が行っている全国的にも先駆け的な「登録博物館や地方自治体への資料の移管」の取り組みを紹介します。

 博物館の収蔵資料

全国の博物館運営の根幹にかかわる課題の一つが収蔵庫問題。どの自治体も年々増え続ける資料の保管に苦慮しています。現在、収蔵庫が「ほぼ満杯状態」もしくは「収蔵庫に入りきらない」との回答は全体の57.2%(日本博物館協会2020『博物館総合調査』)という現状があります。

昭和の時代は、新しいものが次々生産される飽食の時代でした。その高度成長時代に博物館の建設が全国に広まり、多くの博物館は50年以上経過し、改築を余儀なくされています。以前、先輩学芸員から「生活道具は、50年経てばすべて博物館資料(歴史を紐解く立派な資料)になる」と言われたこと思い出します。「今すぐ、展示に活用できなくても、将来意味ある価値が再認識されるかもしれない」という理念にたって、とにかくモノを集めていました。今や、社会を取り巻く状況が劇的に変化し、受け入れ資料を厳選せざるを得ない状況に直面しています。(新博物館の建設は「博物館に収蔵すべき資料」を再考する機会にもなりました。)それは、長期的展望に立ったコレクションが形成されてこなかったとの反省からでもあります。その中で、当館では移転新築に合わせて一昨年度に『資料取扱内規』を新たに策定しました。

双口土器(塩尻市) 移管資料(南牧村、安曇野市、大町市)
昭和40年頃までに松本市近郊で発掘された考古資料の数々

他市町村出土の考古資料を本来の土地に移管

当館ではこの『資料取扱内規』により、今年度から他市町村出土の考古資料を本来の土地に移管する取り組みをスタートさせました。この取り組みは、収蔵スペース狭隘の回避以上に、「考古資料をはじめ資料は公共財産。より一層の活用が期待できる最も適した土地や施設にあるべき」との認識の上取り組んでいます。

現在、発掘調査や遺物管理は、地元の教育委員会が主体となって行われます。自治体の多くが博物館や埋蔵文化財センターを運営しています。しかし昭和40年頃までは、地元の高校教員らが生徒を引率して手弁当で地域の発掘調査を行っていました。県内において発掘された資料は、博物館施設や専門職員が整っていた松本市に必然的に集まった歴史があります。今回の『資料取扱内規』で過去に受け入れた資料について「出自に由来する登録博物館等から要請があった場合」や「移管した方が活用が期待される場合」は相手側と話し合い資料の移管を行うことができると定めました。

先日、塩尻市の平出博物館に縄文土器や打製石斧など275点を移管しました。収蔵先となる平出博物館の職員さんから「歴史の空白が埋まることで新たな発見がある。早速、次の展示で紹介したい。」と言っていただきました。本年度中に、当館の前身である日本民俗資料館時代に受け入れた
6市町村の765点を該当の自治体に移管する予定です。

梱包された移管資料 塩尻市移管1

平出博物館(塩尻市)に縄文土器など275点を移管。

資料は昭和初期に、松本深志高校地歴会などが現塩尻市域で発掘したものです。