―松本高等学校を題材にした小説―北沢喜代治「夢三代」を読み開く
北沢喜代治は、松本高等学校出身の作家です。
また、北沢喜代治が書いた「夢三代」は、松本高等学校教授・蛭川幸茂をモデルとした小説です。
このページでは、北沢喜代治や蛭川幸茂について紹介しつつ、今まで先行研究で明らかになっていなかった「夢三代」の新しい読み方を提示しています。
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内容
1 松本高等学校教授・蛭川幸茂とは
蛭川幸茂は、明治37年東京市にて生まれました。第八高等学校を卒業後、東京帝国大学理学部数学科に入学しています。大正15年に22歳という若さで松本高等学校の教師となり、昭和25年に同校が閉校するまで在職していました。数学教師の傍ら、陸上部の顧問も務めています。
先生というよりも、破天荒な松本高校生のような人でした。第八高等学校時代に苦学ししため、松本高等学校で青春を取り戻そうとしたのかもしれません。らい落な人柄から、学生に非常に人気のあった先生でした。
⑴ 数学教師としての蛭川幸茂
蛭川幸茂は、数学のテストだけでは学生を落第させない方針でした。
そのため、どんな答案にも五十点は与え、ときには白紙の答案にも点数を与えたといいます。それは、学力だけではなく人間性も含めて学生を評価していたためでした。
⑵ 陸上部顧問としての蛭川幸茂
教室では鷹揚だった蛭川幸茂ですが、運動場では動きの鈍い部員をどなることもありました。しかし、学生の心を傷つける怒鳴り方ではなく、景気づけるための怒鳴り方でした。
このように陸上競技に熱心に取り組んだ結果、インターハイ優勝の快挙を成しています。
2 北沢喜代治と「夢三代」概要
⑴ 北沢喜代治とは
北沢喜代治は明治39年長野県須坂町(現:須坂市)で生まれました。大正13年に松本高等学校に入学し、卒業後は東京帝国大学へ進学しています。その後は、富山県での教諭を経て、昭和15年に松本高等女学校(現:松本蟻ケ崎高等学校)の教諭となりました。退職後は松本市議会議員を務めたり、文芸雑誌『屋上』を発行したりしました。
⑵ 作品について
北沢喜代治は『日之島の女』『夢三代』『妙な幸福』『鵠凍えず』という単行本や、『屋上』という雑誌を発行しています。作品の特徴としては、「モデル小説が多い」という点と「松本が舞台の小説が多い」という点が挙げられます。
⑶ 「夢三代」の概要
ア 「夢三代」のストーリー
主人公・鰐川長太郎は、大正15年4月に23歳という若さで松本高等学校の数学教師として赴任することとなりました。初授業で高校のボタンが付いた学生服を身につけ、「俺は教室の中よりも運動場にいることの方が好きだ」という旨の挨拶をしたところ、一気に学生からの人気を得ます。それから二十数年間にわたる長太郎の半生が、長太郎の父親の一生、兄の死、弟の自殺、母の死、姉の人生等を挟みながら綴られていきます。
イ 鰐川長太郎のモデルについて
鰐川長太郎は蛭川幸茂をモデルにしています。北沢喜代治は蛭川幸茂に興味を持ち、モデルとした小説を書くため、密かに写真や著作を集めていました。「夢三代」のストーリーは、ほぼ蛭川幸茂作のエッセイ『落伍教師』に沿って書かれています。
蛭川幸茂と鰐川長太郎には、いくつか類似点があります。類似点については下記を参照いただけましたら幸いです。
3 「夢三代」の新しい読み方を紹介
⑴ 新たに導き出したいテーマについて
それでは、今まで先行研究※1で明らかになっていなかった「夢三代」の新しい読み方を提示していきます。今回、新たに導き出したいテーマは、「『夢三代』における<夢>を抱いたのは誰か」ということです。
まず、「夢三代」における<夢>とはどういうものなのでしょうか。三木ふみ氏の『北沢喜代治−人と作品』では、「『夢三代』というタイトルの由来は、鰐川長太郎(以下、「長太郎」)を中心にした三代にわたる鰐川家の人々の夢、つまり理想をめざした生き方、そしてまた、とかく思うようにならぬ人生の諸相といったものを、象徴させているのである。」と述べられています。
つまり「夢三代」における<夢=理想をめざした生き方、思うようにならぬ人生の諸相>は、鰐川家三代のそれぞれが抱いたものであるということです。鰐川家三代の人々とはつまり、長太郎・長太郎の父・長太郎の子どもたちのことになります。今回は、「夢三代における<夢>(=理想を目指した生き方・思うようにならない人生の諸相)を抱いたのは、本当に鰐川家三代の人々なのか」ということについて分析していきたいと思います。
※1 「夢三代」の先行研究は、三木ふみ氏の『北沢喜代治−人と作品』と藤岡改造氏の「夢三代寸感」が挙げられます。「夢三代寸感」では、「夢三代」の<夢>についての分析はされていなかったため、『北沢喜代治−人と作品』を中心に採りあげています。
⑵ テクスト分析とは
新しい読み方を導き出すために「テクスト分析」を行います。まず、小説には「読み方が一つではない」という前提があります。皆さんは、「竹取物語」を読んだことがありますでしょうか。「かぐや姫が地上を離れ月に帰らなければならない悲しい話」、「かぐや姫が竹から産まれて最終的に月に帰るという不思議な話」等、さまざまな感想があると思います。
このように小説はさまざまな読み方ができます。しかし、「テクスト分析」とは、<客観的なものさし>によってテクストを分析し、論理的な読み取りを行うことで、読み方が異なる他者にも納得できるような方法でテクストの特徴を提示することです。
今回は、<客観的なものさし>として「焦点化」という手法を用います。
⑶ 焦点化とは
焦点化には、次に示す3種類があります。
ア 焦点化ゼロ
全ての登場人物の心中を含め、物語の全情報を把握している視点のことです。
例を挙げると、「男は、密かに野望を抱いていました。それは、いつか大金持ちになるということです。当時、男が住んでいた土地には、宝物が眠っているという噂がありました。しかし、男はその噂を知りませんでした。」というような視点です。ここでは、<男が密かに抱いていること>も<男が知らない噂>についても全て把握されています。
イ 内的焦点化
語り手が知覚している情報と登場人物の知覚している情報が一致している視点のことです。
例を挙げると、「男はいつか大金持ちになりたいと思っていた。そのためには、何をすればいいのだろう。試しに、今住んでいる土地を掘り返してみようか。この土地に何かが埋まっていると聞いたことはないが、もしかすると何か出てくるかもしれない。」というような視点です。男が住んでいる土地には宝物が眠っているという噂があるのですが、それを男が知らないため、「この土地に何かが埋まっていると聞いたことはないが」と述べられています。このように、男が知っている情報しか語られていない視点のことです。
ウ 外的焦点化
登場人物の思考・感情・感覚などを描かず、外面しか描かない視点のことです。
例を挙げると、「あるところに男が住んでいた。男は、住んでいる土地を掘り返していた。」というような視点です。ここでは、登場人物の思考・感情・感覚などは述べられず、「住んでいた」「掘り返していた」と外面的に分かることのみが述べられています。
⑷ それぞれが抱いた夢について
「夢三代」で夢について語られている場面は4つありますが、それぞれ焦点化※2を用いて読んでいきます。
※2 先ほど「焦点化」を3種類紹介しましたが、結果的に言うと今回は「内的焦点化」しか使用しません。
ア 仙吉が夢について語る場面
仙吉(長太郎の父親)が夢について語る場面は次の2点があります。
1つ目は、仙吉が自らの夢について語る場面(A)です。Aでは、「その頃(子どもの頃)の仙吉は、父の後をついで百姓になるといふ気持にはどうしてもなれなかった。いや、仙吉の望みは、大志は、家をどうでも出ることであつた。」とあります。
2つ目は、仙吉が自分の子ども達の夢について語る場面(B)です。Bでは、既に60歳近い仙吉が「かつて自分が徴兵にかこつけて、家の百姓仕事をきらつて、三河の村を抜けだしたことを、思つてみる。と、今の自分の子どもたちの抱いてゐる、それぞれの夢を、自分がどうすることができようぞ。」と思いをめぐらせます。ここでは、夢を追って自分のやりたいことをする子ども達に対し、心配しつつも干渉せず見守る仙吉の葛藤が描かれています。
このように仙吉の視点から描かれているA・Bは、一見すると仙吉に「内的焦点化」されているように見えます。しかし、A・Bの最後には「長太郎が下宿で、寝床に身を横たへた時に、思ひおこした、父や母や、姉や弟は、このやうな父や母であり、姉や弟であつた。」とあり、仙吉が語った夢は長太郎が思い起こしたものであったことが分かります。
ここでは、焦点化(≒視点)の制限が二重にかかっています。A・Bで焦点化されているのはあくまでも、長太郎が想像した仙吉であって、仙吉が実際に思っていたこととは異なる可能性があります。すなわちA・Bで述べられているのは、仙吉の<夢>ではなく、「長太郎が想像する仙吉の<夢>」ということになります。
イ 長太郎が夢について語る場面
長太郎が夢について語る場面は次の2点があります。
1つ目は、長太郎が自らの夢について語る場面(C)です。
Cでは長太郎が「おれの夢のひとつは、いや、これが一番大きな夢なのかもしれん、永遠の若さを得るといふことさ。つまり、死ぬまで自分の肉体を若々しく保つといふことさ。おれには自信がある。おれは四十になつても五十になつても自分の体を鍛へていけると思ふ。」と述べています。
2つ目は、長太郎が自分の子ども達(虚空・南)の夢※3について語る場面(D)です。Dでは長太郎が自分の子ども達の将来について次のように述べています。
あいつ(虚空)は来年、中学卒業だ。ところが、成績はさつぱりだ。英語などまつたくなつてをらんらしい。で、普通の高等学校などへはひれぬだらう。[中略]おれは、至つて自由にほつておく。どこか、昔でいつたら農林学校か、水産学校あたりへはひつてくれたら、とのん気に考へてゐる。[中略]魚取りはうまいんだが、あいつはやつぱりなまけ者だ。なまけてゐて、いつかいゝ汁を吸はうとする。だから、商売はうまいかもしれん。しかしやつぱり、あいつは駄目だ。いや、おれの家では親父も、その上の親父も、代々子どもには失敗してゐる。みすみす子どもを殺すやうに育てゝゐる。おれもどうやらその一人らしい。そして何かとせねば、と思ふ。そこで才能教育なんてことも人並みに考へてみる。南を音楽院に入れたのも、もとはそんな所にあつたのかも知れん。
「夢三代」では、長太郎の子ども達に内的焦点化された部分が無く、Dが唯一子ども達の夢について語られている場面になります。Dで述べられているのは「長太郎にとっての子ども達の夢」であり、C・Dは共に長太郎の考える夢が述べられている場面だといえます。
以上の結果から、「夢三代」におけるA・B・C・D全ての夢は長太郎が抱いたものであるということができます。
※3 長太郎には4人の子ども(虚空・足男・六花・南)がいます。しかし、「夢三代」では「足男」「六花」の夢について述べられている部分がなかったため、「虚空」「南」の夢について述べられている部分のみを取り扱っています。
4 まとめ
先行研究では、「『夢三代』における<夢>は、鰐川家三代のそれぞれが抱いたものである」とされていました。しかし、「焦点化」という手法を用いて各登場人物の視点に着目しながら分析すると、「『夢三代』における全ての<夢>は長太郎が抱いたものである」ということができました。
この記事から北沢喜代治の小説の面白さを知っていただき、北沢喜代治の出身校であり「夢三代」のモデルとなった松本高等学校に足をお運びいただくきっかけとなりましたら幸いです。
<参考文献>
・北沢喜代治『夢三代』(作家社、昭和33年)
・藤岡改造「夢三代寸感」(『屋上』48号、昭和56年)
・三木ふみ『北沢喜代治−人と作品』(「屋上の会、平成19年)
・松本和也編『テクスト分析入門』(ひつじ書房、平成28年)
〇この記事を書くにあたり、神奈川大学教授 松本和也先生にご指導いただきました。この場を借りて感謝の意を表します。