常設展展示紹介⑥ 「弥生時代の松本平1」

弥生時代のはじまり

 弥生時代、米作りが大陸からもたらされ、全国各地に広がりました。松本市内では今のところ、米作りの跡―水田跡は見つかっていませんが、稲を刈る石包丁や炭化米たんかまい(遺跡から出土する米は、土中の酸素がない状況下で黒変した籾や米ないし焼けた籾や米で、これを炭化米と呼んでいます。)が出土しており、米をつくっていたことは明らかです。
 松本市内で弥生時代がはじまった頃、人々は米作りに適した湿地を求めて移り住んでいました。弥生時代の中期の終わり頃、大きな湿地が広がる現在の市街地に米作りの適地を見つけ、本格的な稲作文化を花開かせていきました。弥生時代に松本平に生きた人々は、安定して米を作れる場所を見つけて定住した後、米作りを定着していったようです。

籾痕のある土器と石包丁(宮渕本村遺跡出土)

籾痕のある土器と石包丁(宮渕本村遺跡出土)

大陸からきた新しい文化

 米作りの技術とともに、大陸から新しい磨製石器(石包丁や伐採用の石斧など)や金属器(青銅器と鉄器)、織物の技術がもたらされました。磨製石器は松本市内でも数多く出土していますが、金属器の出土はわずかです。
 織物に関連する遺物として、布目痕のある土器や糸を紡ぐために使われた紡錘車が出土しています。糸を紡ぎ、布を織る技術によって人々の衣服も大きく変化したことでしょう。

大型蛤刃石斧(宮渕本村遺跡出土)

大型蛤刃石斧(宮渕本村遺跡出土)

 

コラムクイズ

松本市内の遺跡から銅鐸の一部が出土しています。銅鐸は金属製の釣り鐘で豊かな実りを願うマツリに使われたと考えられています。では、銅鐸の材料は次のうちどれでしょう。

銅鐸の一部(宮渕本村遺跡出土)

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