☆化石新聞第12刊~四賀の4地区について~☆
はじめに
こんにちは!今回は化石新聞第12刊~四賀の4地区について~です。引き続き四賀や化石の魅力をお伝えしますので、軽い気持ちで楽しく読んでいただけたら嬉しいです。
東筑摩郡四賀村から松本市四賀へ
松本市四賀は昔東筑摩郡四賀村でした。四賀村は1955年(昭和30年)4月1日に嶺間4ヵ村と呼ばれた会田村、五常村、中川村、錦部村が合併して誕生しました。その後、2005年(平成17年)に松本市に編入合併し、化石館や赤怒田の福寿草群生地などを中心に毎年多くの方々が訪れる魅力ある街です。
自然分野で見ると、矢久のカヤや横川の大イチョウをはじめとした長野県天然記念物が数々あり、春にはフクジュソウが可愛らしく咲き誇り、自然の豊かさを感じることができます。
化石分野で見ると、世界最古の全身骨格化石のシガマッコウクジラ、長野県天然記念物シナノアロデスムス頭骨化石などの海生哺乳類化石を中心に多くの化石を産出する化石の宝庫です。
歴史分野で見ると、江戸街道と善光寺街道が通った刈谷原宿、保福寺宿、会田宿という3つの宿場町の趣が感じられ、虚空蔵山城を中心とした戦国時代の山城跡も多く残っています。
会田地区
こちらは旧善光寺街道の宿場町である会田宿が残り、歴史の息吹がはっきりと感じられます。鎌倉時代には、伊勢神宮の領地として会田御厨(みくりや)が置かれました。戦国時代になると、山梨県の戦国武将武田信玄や信濃守護の小笠原氏に仕えた豪族会田海野氏の城下町が形成され、政治経済の中心地として発展しました。また、旧善光寺街道の宿場であることから、松本と善光寺平(長野市)、さらには上田を結ぶ交通の要衝でもありました。
五常地区
こちらは四賀地区の中でも特に多くの化石を産出する地域です。中でも現生のトドやアシカに類似する大型海生哺乳類シナノアロデスムスの頭骨の化石は貴重で、長野県天然記念物に指定されました。今後も歴史的大発見が期待される化石のロマンがあふれる場所です。
中川地区
こちらは、戦国時代に四賀地域を支配した豪族会田海野氏の山城虚空蔵山城、長野県天然記念物に指定されている矢久のカヤ、横川の大イチョウなど多くの観光資源があり、歴史と自然の奥深さを感じることができます。
錦部地区
こちらは四賀化石館が位置する地域です。毎年春には福寿草まつりが開催され、可愛らしく咲き誇るフクジュソウを求めて県内外から多くの観光客が訪れます。また、古代から中世にかけて東山道の道中となる場所であり、江戸時代に入ると江戸街道の宿場町保福寺宿が整備され、松本と上田、そして江戸を結ぶ交通の要衝として栄えました。
おわりに
以上、四賀の4地区のご紹介でした。四賀は四方を山々に囲まれた自然豊かな地域で、今からおよそ1500万年~800万年前には海が広がっていました。その証拠となるクジラや魚といった海の生き物の化石が数多く産出しています。また、戦国時代の山城跡、寺などの史跡が多くあり、旧街道沿いには歴史の面影が残る街並みや家が点在しています。四季折々に表情を変える田園風景、自然の恵み。クジラや魚が泳ぐ太古の海を想像しながら四賀地区を散策してみてはいかがでしょうか。