上條館長の山城案内 波多山城
波多山城(はたやまじょう)松本市上波田
平成23年3月22日松本市特別史跡
さて今日は波多山城(はたやまじょう)です。波多山城は小笠原氏の影響を受けた山城と考えられます。もともと波多氏はこの地域の牧を支配していた豪族だったのですが、やがて没落し、のちに小笠原氏が直参を派遣し、支配していきました。飛騨や木曾とも通じるこの道も大切な道だったのです。
ちなみにこの地域は波多村として発足したのですが混乱した時期があり、「波多し」の地名がよくないと1933年波田村になったそうです。
さて、道順ですが、まず、波多神社、田村堂を目指します。アルピコ電鉄 淵東駅の道を南に上っていく道もありますが、道がやや狭いので、波田の商店街を抜けていく道を紹介します。
まず、国道158号線を上高地方面に向かいます。そして波田庁舎、波田小の交差点を左折します。
踏切を越えてしばらく行くと郵便局があるので、その手前を右折します。
すると石張り道路が現れます。この道は車ではなく、歩いて散策するのがよさそうですが、この石張りの道を進むと正面に仁王門が見えてきます。その左の道を進み、若澤寺跡への道案内の通りに進みます。
看板が出てきます。ここを左折して進みます。
ここからは林道。右手は崖。ちょっとスリルがあります。ここから1.5kmと表示があり、何とか歩いてでも上ることはできます。車で登り口までいけます。
そしてまた、分岐点があります。ここは案内板の通り左に行くのが正解です。
最初に来たとき、右に上って行ってしまいました。行けども行けどもそれらしき案内はなく、軽トラとも何とかすれ違い進むと工事現場にでてしまいました。今、送電線の鉄塔建て替え工事をしているらしく、令和5年11月までの予定だそうです。慌てて引き返し、びびって最初の林道入口まで戻り、空き地に止めて登城することにしました。結構大きなトラックも上がっていったので気を付けてください。
さて、若澤寺跡方面に向かうと丁石というものが設置されています。1丁(109m)ごとに17か所あったそうです。今は4カ所残っています。
この林道は水沢山林道といいますが、石畳や粗いコンクリート舗装で落ち葉もあり、急坂で車も上りにくいだろうなとは思います。そして、突き当りが若澤寺跡です。林道はなお続きますが、立ち入り禁止です。
最初登り口がわからず、困ってしまいましたが、若澤寺跡を探索した後、ちょっと戻るとこんな看板がでていました。最初は気づかなかったのですが、波田山城跡(ここは田の字でした)の文字があるではありませんか。軽トラならまだ、進めそうですが、杉が育ち、倒木も多そうなのでこの辺りに車を止めて歩くのがいいと思います。300mほど歩きます。
そしてついに登城口につきました。迷っただけにようやく来たかという感じです。
地元の方によってきちんと整備され、とても上りやすく、ここからはあっという間です。こちらは搦手口でしょうか。それにしても止め山の表示が多い。よっぽど地主さんは気にしているんでしょうね。採っていく人がいるんでしょう。疑られないように秋は止めたほうがいいようにも思います。
少し上ると城跡の石碑が秋葉城と書いてあります。これは本城に秋葉神社の祠があったからそう呼ばれたそうです。
まず、左手の本城に進みます。段々畑のように段曲輪が並んでおり、広さも十分あります。大きな堀切沿いに進むとすぐに本城です。本城入り口には上り口が用意されていますが、帯曲輪をぐるっと回り、西側が虎口のような気がしました。
主郭には井戸跡やお社があります。土塁が周りを取り囲んでいます。小笠原の城のように石積みは見当たりません。
虎口を降りると馬出らしきものがあり、左に折れて南城にいくとここにも大きな堀切。竪堀といってもいいかもしれません。大きく分断しています。広さもあり下を見るといくつも段曲輪があります。
ぐるっと本城の帯曲輪を通って北城に向かい、堀切を越えるとこちらも広く、下にいくつもの段曲輪が見えます。本城を中心に大きく羽を広げた形にも見えてきます。大手道と思われる北西方面に重きを置いた縄張りのように思います。
その後、東尾根を行き、見晴らし台に向かいました。今は木々が茂って景色はよくありませんが、松本の街並みも見え、木々の伐採が進んだら素晴らしい展望台になりそうな気がしました。
波多山城は林道を車であがれば、全然、疲れない良い山城です。歩いて登ってもいい運動になります。ぜひ足を運んでください。若澤寺跡もすごいですよ。石積みや礎石がきちんと残っていて、山城のようです。こんな大きなお寺がこんなところにあったとは、しかも本来はまだ奥の山にあったといいます。人間の信仰心のすごさを感じます。