施設案内

>>English Page

沿革

2008041720382525

 旧開智学校は明治6年(1873)5月6日、筑摩県学を改め学制による小学校として、廃仏毀釈で廃寺となった全久院の建物を仮の校舎として開校しました。新校舎は明治9年4月に全久院跡地に竣工し、昭和38年3月まで約90年間使用された、日本で最も有名な小学校校舎です。
 地元の大工棟梁立石清重が設計施工したもので、現存校舎のほかに30余室の教室棟が設けられており「広大華麗・地方無比」とうたわれた大規模校でした。
 工事は、当時のお金で1万1千余円の巨額なもので、およそ7割を地域の人々が負担し、残り3割は特殊寄附金及び廃寺をとりこわした古材受払金などで調達しました。
 開智学校は後に様々な教育機関に発展し、松本地方の教育センター的役割を果たしました。

校舎の国宝指定について

  近代学校建築としては初めての国宝となった旧開智学校校舎、国宝指定にあたっては、「近代化を推進した開化期の洋風建築受容を示し、近代教育の黎明を象徴する最初期の擬洋風学校建築として、文化史的に深い意義を有する」と評価されました。校舎の評価された点について紹介します。 

 

1 文明開化を伝える擬洋風建築の代表作 

 明治初期、日本中が文明開化に沸いていた時代に、建物も洋風のものが求められるようになりました。しかし、実際に建物を施工する大工たちに、当然ながら洋風建築を造った経験はありません。そのため、東京や横浜、大阪や神戸などの先進地へ見学に行き、洋風建築の情報を集めるとともに、持ち前の伝統技術を応用して洋風に見立てたり、身の周りの材料を工夫して洋風に似せたりすることが行われました。このようにして、各地で洋風を目指した建築が造られていったため、和風や洋風など様々な要素が混ざり合った建築が全国で誕生しました。こうした建築は擬洋風建築といわれ、日本人がどのように西洋の建築を受け入れていったかをよく示す建築と評価されています。
 旧開智学校校舎は、こうした擬洋風建築の特質をよく備えています。例えば、コーナーストーンのような建物四隅のギザギザ模様は、西洋建築における石積みのようにみえますが、伝統的な材料である漆喰に灰色の色をつけて壁に塗り重ねて石っぽく仕上げている部分です。ほかにも、木柱にレンガ模様をペンキで描き、あたかもレンガの柱のように仕上げている部分もあります。これらは設計した大工が「石目塗」や「煉瓦塗」と呼んでおり、日本の職人が慣れていた“塗り”の技術を応用して洋風に仕上げたことを示しています。
 また、旧開智学校校舎は、こうした擬洋風建築の特質をよく備えている一方で、他とは一線を画す豊かな独創性を持ったデザインも評価されています。建物の正面に西洋由来の天使の看板と、日本で伝統的に用いられてきた龍の彫刻を並べて配置するという大胆不敵なデザインは、旧開智学校校舎にしか見られないともいわれています。 

旧開智学校校舎

開智正面

2 近代教育の黎明期を象徴する校舎 

 旧開智学校校舎は、明治初期の学校校舎としては非常に機能的に造られています。明治5年(1872)に発布された、近代的な学校制度を定めた学制のもとでは、学校の校舎は「務メテ完全ヲ期ス」ことが求められましたが、細かい規定・規格などはありませんでした。学校校舎の規格が国によって固まるのは、明治30年前後のことです。明治初期は、小学校校舎の7割近くが寺院や空き家の転用と言われており、そもそも学校としての用をなさない校舎がほとんどでしたが、新築された場合でも廊下が無かったり、部屋が狭かったり、サイズがバラバラだったりと、校舎として不都合が目立つものが多くありました。
 こうした時代に旧開智学校校舎は、中廊下によって各教室を独立させ、全部で32部屋もあった教室を当時としては広めの3間×4間というサイズで統一しました。中廊下のため日当たりの悪くなる場所もありましたが、子どもたちの勉強する教室をなるべく南側に配置するなど、計画面で建物の不備を解消しようとした動きも見受けられます。
 旧開智学校校舎は、学校に対する理解が深まっていない当時としては、非常に高い完成度を誇る校舎と評価されています。学制で示された当時の教育環境の理想形を示す校舎としても価値が高いといわれ、近代教育の黎明期を象徴する校舎としての評価を得ています。

校内廊下教室 

 

3 現在まで守り伝えられてきた校舎 

 これまで紹介したような点とともに、もう一つ大切なことは、校舎が現在まで大切に守り続けられてきたことでしょう。
 擬洋風建築は、本格的に西洋建築の勉強をした日本人建築家の誕生と軌を一にして下火になってしまいました。また、機能的に不備も多かった擬洋風校舎は、就学児童の増加とともに改築・転用の憂き目にあうことも多くありました。
 こうした状況でも、旧開智学校校舎は小学校の校舎として90年近くも使われ続けました。最初からしっかり造っていたため改築の必要性が少なかった点も大きかったですが、早くから校舎を大切にしようという意識が生まれていたことが一番の理由です。明治時代の後半になると、開智学校の先生の間で“古い校舎が児童の訓育に役に立つ”といった意見や、校舎旧観の保存のため卒業生がお金を寄付する事例が目立つようになります。
 建築当初から「建築の出来ハ目今(ただいま)日本第一等」と賞されていた校舎は、使い続けることで新たな価値が関係者の間で共有され、長く保存されることとなりました。度重なる水害や社会状況・教育事情の変化といった逆境を乗り越えて地域の住民に大切に保存され続けてきたからこそ、今こうして国宝の評価を得るに至ったのです。

昔の開智学校昔の開智学校

 こうした点が評価されて旧開智学校校舎は、近代建築では3件目、近代学校建築としては初めの国宝となることができました。長野県内では10件目、建造物に限ると66年ぶり6件目の指定となりました。
 校舎の国宝指定によって、松本市は松本城天守と旧開智学校校舎という国宝建造物が並び立つまちとなりました。近世の象徴である城郭建築と近代初期を象徴する擬洋風建築を一望でき、日本の歴史の転換を間近に感じることができるのは、日本の中でも松本だけといえます。松本にお越しの際は、ぜひ両方ご覧いただき、近世と近代の国宝建造物の競演をお楽しみください。

 

常設展案内

 建築資料

重要文化財附(つけたり)指定の開智学校新築仕様帳(明治8年)、新築費附人名簿(明治10年)、開智学校新築費割(明治9年)、新築費蒐集総括牒(明治7年から10年)、色ガラス・把手などの資料資材、大工棟梁立石清重関係資料などがあります。 

教育資料 

教室風景江戸時代の往来物、明治初期の学校創設期資料、明治・大正・昭和の3代に使用した教科書、学校管理資料、日誌、卒業証書、教案、教材・教具、生徒作品、その他幼稚園関係資料などがあります。

ショップ

旧開智学校にはここでしか買えないオリジナル商品が多数あります。

◆ミニタオル-旧開智学校の玄関にデザインされた2人のエンジェル像をモチーフにしています。
◆手ぬぐい-開智学校卒業生、平林勝太郎氏の絵です。父平林荘子の句を配した父子合作の商品です。
◆ボールペン-校舎が描かれています。


開智の机イスセット他◆開智の机イスセット・写真立て等
この製品は松本少年刑務所で作られています。旧開智学校では商品の製作を依頼することで松本少年刑務所とともに受刑者の再犯防止に取り組んでいます。

再犯防止法について詳しくは(法務省ホームページ)
http://www.moj.go.jp/hisho/seisakuhyouka/hisho04_00038.html


※料金・お買い求め方法など詳しくは旧開智学校校舎までご連絡ください。